◎時折、空を見上げて記憶の庭に栞を挟む。空は色も雲の象もひとつも同じものはないので、記憶に根を張るにはうってつけ。月を見るのも同じ。暦の季、季語も「あのときの空」「あのときの月」と結びついている。上弦の月も三日月もSNSに流れるが、それはみな異なる時間・場所で撮られたもの。もちろん写真機も別、構図も写りも別。それでもそれぞれが栞となり、それが胸の内の空、胸の内の月となっていく。人は記憶の庭に触れようとして空を見上げるのではないか。

◎時折、空を見上げて記憶の庭に栞を挟む。空は色も雲の象もひとつも同じものはないので、記憶に根を張るにはうってつけ。月を見るのも同じ。暦の季、季語も「あのときの空」「あのときの月」と結びついている。上弦の月も三日月もSNSに流れるが、それはみな異なる時間・場所で撮られたもの。もちろん写真機も別、構図も写りも別。それでもそれぞれが栞となり、それが胸の内の空、胸の内の月となっていく。人は記憶の庭に触れようとして空を見上げるのではないか。