にほんは胸の内にあり

【胸の内の四季から郷愁まで】「にほんは胸の内にあり」を感得する。きっかけはハルオ・シラネの『四季の想像』。日本人にとって「四季」は外なる気候ではなく、心のなかに投影されたものという指摘が見事だった。ハルオ・シラネは赤子の...

沈黙する月

人はなぜ過剰なまでにことばを交わしあうのか。ニュースまでもがお喋りのネタと化しているし。AIまでもが24時間365日お喋りをつづけている。月は沈黙のなか雲間にある。

物見遊山とは

【物見遊山】「物見遊山」という語は、虎寛本(とらひろぼん)狂言の「茫々頭(ぼうぼうず)」(室町時代末期から近世初頭)からとされている。作品中に「物見遊山のと申て、都は殊之外賑な事で御ざる」という記述がある。「遊山」とは、...

花をめぐるにほん

【花いろいろ】にほんで栽培されている花の品種は約4万種といわれ、世界でも類をみない。これは南西から北東へ伸びる島のにほんが海流に囲まれ、季節風を浴び、さらに背骨のように中央に山を連ねている島の造作が密なる多様な気候風土を...

やまとことば

【やまとことば】大陸から文字がやってくる前からあったことばを総称して「やまとことば」という。大陸からもたらされた文字と意味が重なるものは「訓読み」としてそのことばをあてた。大陸の読みは「音読み」とし、ひとつの文字が文によ...

文字

【文字】文字のなかった時代が長かったことは文化にもあらわれている。体に文化を染みこませたり、目は口ほどにものを云ったり、カミや死者のことばや感情を読み取ったりもした。それが夢をもたらし、伝説をもたらし、物語をもたらした。...

にほんご

【にほんご】おそらくこれだけ日本が「うた」の国になったのは、文字のないコミュニケーションに長らく浸ったからだろう。これを「文字すらもたない時が長かった」と見るか「うたが熟成された」と見るか。なぜいまも俳句や短歌にひかれる...

日本家屋の間

【日本家屋の間】日本家屋の間は普段はがらんとしている。はじめから間の用途があるわけではない。だが寄合があるとそこにずらりと座卓が並べられ、座布団が敷かれ、人が集まり会合がはじまる。寄合が終わればそれらはすべて片付けられ、...

日本人の四季感覚

おそらく日本人の四季感覚が磨かれたのは604年(推古12年)に大陸より伝来した暦をもとに暦を制作してから。そこに記された四季(春夏秋冬)とやまとの四季感覚がどうにもあわない。花見を梅から桜へおきかえてもまだしっくりこない...

視線と文化

◎世界という世は兎角窮屈だ。互いに見下しあっているとさらに肩身が狭くなる。どうして、都市では視線を逸らしあっていそいそと歩くのか。これでは巡礼もはじまらない。 ◎北山修は、浮世絵には蛍やら鳥やら消えゆくものを母子が眺める...