和語

言霊へ行き着くにはまずことばに注目する。この険しい海流に囲まれた列島にたどりついた縄文人はどのようなことばを話していたか。大陸から文字の伝来するまえの声のみのことばを和語とひとくくりに呼んだり、言語学では日琉祖語(にちりゅうそご)に分類したりする。この痕跡は琉球語や八丈語やアイヌ語に残っている。和語は声のみのことばでとどめられることなく、そのまま待機中に消え入る。繰り返されるのは人がその旋律や拍子を憶えて再現するときだけ。そんな歌が列島に飛び交っていた。獲物を集団で獲るための合図などは共有されていたろう。そこではその身振りも含めてことばだった。文字が伝来してことばが文字と結ばれるとことばは劇的に変化する。その「声の文化」と「文字の文化」のせめぎあいについては、『声の文化と文字の文化』(※1)を参照されたい。

和語の時代、母音は八つあったと推測されている。およそ百年かけて編まれた『万葉集』で「イ」「エ」「オ」の三つの音にそれぞれ別の文字があてられていたのでそう推測された。その二種類の音を甲類ならびに乙類とし、八つの母音があったと推測された。『万葉集』が万葉仮名の上代特殊仮名遣いで書き分けられたからこそ、文字のなかった和語の音が推測された。そのころの歌もいろいろと再現されているが、まさに歌とよぶにふさわしい調べだったろう。おそらくスティーヴン・ミズンが『歌うネアンデルタール』(※2)で述べた「Hmmmmm」にあたるかもしれない。

◎参考
※1 『声の文化と文字の文化 普及版』(W・J・オング、桜井 直文=訳、林 正寛=訳、糟谷 啓介=訳、藤原書店、2025)
※2 『歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化』(スティーヴン・ミズン、熊谷 淳子=訳、早川書房、2006)

ミームノートのささめごと

やっとはじめの素材がそろったので、そろそろとミームノートを綴っていくことにする。

ここでは日本文化の「言霊」(ことだま)を大黒柱としつつ、その起源からそれがどのようにひろまり、はたらき、文化というまことに不思議な場を生んでいったのか。それを綴っていきたい。「ミーム」としたのはかのドーキンスが云った「文化の遺伝子」(※1)なるものは言霊ではないかと見立てたから。「ノート」は言霊の軌跡としての「譜」の見立て。

◎参考
※1 『利己的な遺伝子 増補新装版』(リチャード・ドーキンス、日高 敏隆=訳、岸 由二=訳、羽田 節子=訳、垂水 雄二=訳、紀伊國屋書店、2006)

にほんは胸の内にあり

【胸の内の四季から郷愁まで】「にほんは胸の内にあり」を感得する。きっかけはハルオ・シラネの『四季の想像』。日本人にとって「四季」は外なる気候ではなく、心のなかに投影されたものという指摘が見事だった。ハルオ・シラネは赤子のときにアメリカに渡って、日本文化の研究をしている。源氏物語の「独特」の訳で知られるサイデンステッカーのもとで研究していたこともある。そして日本人の独特の「四季感覚」について指摘した。日本人にとって四季は頭で考えるものではなく、体で味わうものなのである。

ハルオ・シラネは「四季」について述べたが、実はこの「感覚」は日本文化の基底にある。たとえば「草木国土悉皆成仏」。これは草も木も成仏するという草木仏教のエッセンスであるが、大陸からやってきた仏教では草も木もそれは無情であるから成仏などとは無縁であるとする。だが日本人の「感覚」では草も木も生きているではないかとなる。日本人はもともと細長く、およそ住まう地が限られていて、草・木・森の密集する国土で植物と肩を寄せ合うようにして生きてきた。その普段の身体感覚が「草木国土悉皆成仏」に結ばれている。この草木仏教こそが日本で芽生えた日本らしさ、日本の形となる。その身体感覚が「四季」を体に沁み渡らせ、季語や歳時記を生み、和歌や俳諧、『源氏物語』という文芸を生んでいった。

外の感覚が「岩に跳ねるや蝉の音」なら日本人(内)にとっては「岩にしみいる蝉の音」の感覚となる。これを「胸の内に畳みこむ」と綴りたい。

日本人はとにかく春と秋が好き(数寄)だ。それは歌を見てもわかる。『万葉集』では春の歌が172首、夏が105首、秋が441首、冬が67首ある。断然秋が好きで、その後が春。それからやや離れて夏と冬とつづく。これは胸の内の四季のすがたと云って良い。外なる四季を胸の内に畳みこむとき、ことばに重ね、梳いて梳いて梳いていく。そのことばが季語となり、それらをあわせた歳時記となる。そしてさらに暮らしのなかでは和の暦となっていく。歳時記は和歌、短歌、俳諧、俳句の指標であるばかりではなく、暮らしの指標そのものなのだ。そして四季が暮らしのなかに入りこむと、それが着物や工芸や調度の柄にあらわれたり、食べ物の旬にあらわれたり、祭りなどの年中行事にあらわれたり、農作業にあらわれたり、模様替えにあらわれたりする。

この日本人の身体感覚(胸の内の感覚)はなにも「四季」にあらわれているだけではない。「草木国土悉皆成仏」にも、日本の「自然」とともにあろうとする禅にも、「ご機嫌麗しゅう」の挨拶の人や他所への気遣いや、近所の回覧板や、幕の内弁当や、巫女舞などの神事や、農作業や、江戸の市中や、花火や、農村歌舞伎や、門付芸や、落語や、門松や、床の間などなど暮らしのあらゆる場面や機会にあらわれている。

そんな日本人の胸の内がうつろいを漂わせ、面影を浮かびあがらせ、それらがゆるやかな渦をなして郷愁となる。日本は胸内山水の国。

※参考
『四季の創造 日本文化と自然観の系譜』(ハルオ・シラネ、北村 結花=訳、角川選書、2020)

沈黙する月

人はなぜ過剰なまでにことばを交わしあうのか。ニュースまでもがお喋りのネタと化しているし。AIまでもが24時間365日お喋りをつづけている。月は沈黙のなか雲間にある。

物見遊山とは

【物見遊山】「物見遊山」という語は、虎寛本(とらひろぼん)狂言の「茫々頭(ぼうぼうず)」(室町時代末期から近世初頭)からとされている。作品中に「物見遊山のと申て、都は殊之外賑な事で御ざる」という記述がある。「遊山」とは、もともと禅語で山(寺)での修行を終えまた別の山へ向かうあいだのこと。修行という閉ざされた空間から空間への合間に「外」の景色を呼吸するひととき。そしてまた修行へ入る。それを庶民が敬意を払いつつ庶民感覚でつつみ、遊山の前に「見物」をひっくり返した「物見」を添え、「物見遊山」とした。いわば遊山擬き。そして季節から季節へ、事から事へ、物から物へ、場から場へと物見遊山を果たすようになる。これが洒落に富んだ物見遊山文化。これも日本の奥にしまわれている心情。

花をめぐるにほん

【花いろいろ】にほんで栽培されている花の品種は約4万種といわれ、世界でも類をみない。これは南西から北東へ伸びる島のにほんが海流に囲まれ、季節風を浴び、さらに背骨のように中央に山を連ねている島の造作が密なる多様な気候風土を生んでいるから。それが四季となってあらわれる。さらに花も木も草もそれぞれの気候風土のなかにある。花は俳句の季語の代表。にほんでは花は季節をもった文字でもあり、暦でもあった。

やまとことば

【やまとことば】大陸から文字がやってくる前からあったことばを総称して「やまとことば」という。大陸からもたらされた文字と意味が重なるものは「訓読み」としてそのことばをあてた。大陸の読みは「音読み」とし、ひとつの文字が文により複数の「読み」が使い分けられるようになった。すでにあることばを大陸のことばで上書きするのではなく、複数の文化が文字を共有するようになった。だからこそ文字を持たなかった時の文化も継ぐことができた。同じことは、住居から作物の栽培、工芸など文化のあらゆる場面で起きている。それもにほんらしさのひとつ。

文字

【文字】文字のなかった時代が長かったことは文化にもあらわれている。体に文化を染みこませたり、目は口ほどにものを云ったり、カミや死者のことばや感情を読み取ったりもした。それが夢をもたらし、伝説をもたらし、物語をもたらした。文字が伝来した後も、平仮名を作り、そこに声が重ねられるようになる。それが文字の宇宙にひろがるようになる。まさに声という風を孕む文字。なぜこのようなことが起こったのか。

にほんご

【にほんご】おそらくこれだけ日本が「うた」の国になったのは、文字のないコミュニケーションに長らく浸ったからだろう。これを「文字すらもたない時が長かった」と見るか「うたが熟成された」と見るか。なぜいまも俳句や短歌にひかれるのか。他所から素晴らしい詩の伝統と言われると、なぜ少し誇らしい気分になってしまうのか。そんなにほんごとはいったいなんなのか。

日本家屋の間

【日本家屋の間】日本家屋の間は普段はがらんとしている。はじめから間の用途があるわけではない。だが寄合があるとそこにずらりと座卓が並べられ、座布団が敷かれ、人が集まり会合がはじまる。寄合が終わればそれらはすべて片付けられ、また普段に戻る。舞などの稽古が行われるときはその様に、三味線などが披露されるときはその様に、講談などが催されるときはその様に、婚姻の儀などが執り行われるときはその様に、その間が設られる。そして終われば、また普段に戻る。間は普段およそ空っぽで、何かが起きるとき、それに応じ間に呼びこまれ、そこが変わる。いわばなだらかな窪み。