【物見遊山】「物見遊山」という語は、虎寛本(とらひろぼん)狂言の「茫々頭(ぼうぼうず)」(室町時代末期から近世初頭)からとされている。作品中に「物見遊山のと申て、都は殊之外賑な事で御ざる」という記述がある。「遊山」とは、もともと禅語で山(寺)での修行を終えまた別の山へ向かうあいだのこと。修行という閉ざされた空間から空間への合間に「外」の景色を呼吸するひととき。そしてまた修行へ入る。それを庶民が敬意を払いつつ庶民感覚でつつみ、遊山の前に「見物」をひっくり返した「物見」を添え、「物見遊山」とした。いわば遊山擬き。そして季節から季節へ、事から事へ、物から物へ、場から場へと物見遊山を果たすようになる。これが洒落に富んだ物見遊山文化。これも日本の奥にしまわれている心情。