鎌倉海浜ホテルから富士山を望む

明治初期蔓延していた結核。西欧で療養の目的として使われていた海水浴をとりいれたサナトリウム「保養所海浜院」を医学者長与専斎がこの地に開院したのが明治20年(1887年)のことでした。木造二階建て、室数は30。完璧な施設を整えて営業していたこの施設もあまりの高額な費用で2年で経営に行き詰まりました。その後海浜院ホテルとして営業。

明治30年に青山和三郎氏、明治39年には横浜在住の外国人有識者の共同出資を受けジョサイア・コンドル設計の増改築を行ないました。大正5年(1916)には軽井沢三笠ホテルを買収した明治屋の磯野長城氏が社長となり、「鎌倉海浜ホテル」となります。その頃ロシア革命により海外からの旅客も増え業績も上がったといわれます。大正9年には浴室付き24室を増設しました。太平洋戦争末期には海軍省の斡旋でドイツ大使館と海軍武官事務所として使われるようになりました。

終戦後は米軍に接収をされ、昭和21年1月米兵の火の不始末により消失してしまいました。絵葉書には宿泊客が遊ぶ姿が写っています。松林の向こうには富士山が顔を出しています。

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