穂高小屋とジャンダルム

昭和期発行

昭和初期の穂高小屋の姿です。現在の穂高岳山荘で、平成25年に90周年を迎えました。大正12年に今田重太郎が白出のコルに岩室を造り穂高小屋の基盤を造りました。重太郎は、日本の山岳会では伝説の人です。

穂高は日本アルピニズムの発祥の地と言われ、この稜線に小屋が必要であると考え穂高小屋を建てました。また戦後、重太郎新道を造り穂高の雄と言えるでしょう。


近年の穂高岳山荘

槍ヶ岳山荘と並ぶ北アルプス縦走路の大きな山小屋やこの穂高岳山荘です。この小屋の堰堤からの望む涸沢カールの迫力はすごいものがあります。

あの三浦雄一郎氏がプロスキーヤーだった頃、涸沢小屋からスキーを担いでここまで登ってきました。今のルートだと、サイテングラード経由だと思われます。そしてこの堰堤から一気に涸沢カールを滑り降り、小屋まで一気に戻ったそうです。我々凡人が80歳過ぎてもトレーニングすれば、エベレストに登れると夢夢思ってはいけません。三浦氏は若い頃から常人ではありませんでした。彼の父親もまた息子さんも並外れた物を持っています。

タイトルとURLをコピーしました