白馬岳(しろうまだけ)標標高2,932 m

昭和5年発行

昭和庚午と有りますので、昭和5年の年賀状です。非常に手の込んだ作りで、木版画の上に本物の乗車券と白樺の表皮を貼付けています。昭和初期の趣味人の作る年賀状は、いまでは考えられぬほど技術の高さが表れています。山道を行く少ししんどそうな馬の表情が、とても良く描けています。

ウェストンは大正2年に白馬の麓まで向き合った座席を持つランドー型4輪馬車で、5時間のドライブに出発したとあります。この馬車はかつて首都を走ったが、今はこの様な風景の美しい所を走る、と記述に有ります。


1908(明治41)8月

河野齢蔵が明治41年8月に撮影されたものです。河野齢蔵は1865年に今の松本市に生まれました。小学校のに勤めながら教員の資格を取得し長野高等女学校、伊那高等女学校などに勤務しながら早い時期から写真技術を身につけました。(当時は今の様にスマホで簡単に写真が撮れなかった)また、松本市の写真技術の研究会の会長となり、指導にもたずさわりました。

生涯、女子教育に尽力を尽くし、また高山植物の研究でも高い功績があり書籍も多数発刊されています。

100年以上経過した同じ8月の今の白馬雪渓
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