槍ヶ岳直下の坊主岩小屋

右からウェストン、根元清蔵、上条嘉門次。ミセス•ウェストンが撮影しています。記録ではこの4人が槍ヶ岳に登頂したのは、大正2年(1913)8月8日となっています。この絵葉書の発行は大正8年から昭和にかけてですので撮られてから数年経って発行された様です。ただしこのタイトルですが穂高岳石室となっておりますが、記録では坊主岩小屋となっています。

8月5日に松本を出発、島々の清水屋宿泊。翌6日、徳本峠から上高地へ。その時に河童橋で第一高等学校旅行部と一緒に撮った写真はあまりにも有名です。7日に赤沢小屋で野営。翌8日に5時40分に赤沢小屋を出発。8時30分にこの坊主岩小屋に到着しました。そこから去年にウェストンが見つけた北面から槍へ登るルートへ。そして12時30分に山頂に到着しました。ウェストンも50代に、嘉門次は60代も半ばになっていました。旧知の間で、談笑してる3人が大変楽しそうです。

真ん中の清蔵は、タイトルでは通訳となっていますが嘉門次と同じく案内人です。ウェストンからの信頼も厚くナンバー1の案内人だと記述が有ります。のちにウェストンが帰国後、日本の事を思い続けたのもこの二人との思い出が大きかったと思います。この絵葉書以外にもウェストンが写っている物が発行された記録がありますが残念ながら現存するか否かは不明です。


100年前にウェストン一行が座った岩に腰掛けました。少し不思議な感覚です。
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